三角形

Maï Furusato

隣に座ったおばちゃんが話してくれた唐川菩薩のおはなし

shortstory_03

プロ野球開幕だぁ!便乗してWEBサイト開けるぞ!!
と、まだデザインもままならないのにそのまま勢いで開けてしまうことにした。
野球に背中を押してもらうのも謎だけど、なんで全然知らない人=選手に肩入れして応援してしまうんだろう。

今日は春のあたたかい陽光の電車で隣に座ったおばちゃんが話してくれた唐川菩薩のおはなしだよ。

秋になって、私は友達にマリーンズのキャンプに誘われたの。マリーンズは千葉の南のほうにある鴨川というところで秋季キャンプをしていたので、私は東京駅からバスに乗って向かうことにした。自分で車を運転して途中眠くなったりしてしまってはいけないからと思ったの。
その頃私は本当に「疲れて」いたんです。毎日怒鳴り声が響く職場で、一緒に働いていた人は次々に辞めていった。辞めていった人は、ターゲットにされるみたいに、私や周りの人から見ても全く意味がわからない変な理由をつけて怒鳴られるようになり、次第にエスカレートしていった。おかしい、っていつ言おう、いう時はやめる時だな、なんて思っていた。でも仕事は山のようにあって、終わりまではこなさないといけないって思っていたから、すぐにはできなかったんだ。私は毎日毎日、ずっと重い気持ちを持ち運んでいた。
海を渡り、山を越えて、バスはグラウンドへ向かっていく。2時間くらい乗っていたのかな。私は鴨川の市街地の手前のバス停で降りた。周りは畑だったような気がするけれど、少し歩いたところにグラウンドはあった。
入っていくと、ちょうど午前中の練習が終わったところだった。遠くに見えていた選手がこちらのクラブハウスに戻ってくる。
するとその選手にファンがいっぱい群がった。サインをもらっていた。
ちょうどそのとき、友達が到着したの。「私もサインもらう!」そう言って、帽子を持って列に並んだ。向こうの方から、唐川選手はゆっくりとひとりひとりにサインを書いて近づいてきた。そして友達の帽子にサインを書く番になった。差し出したペンで書くけれど、黒い帽子であんまり色がつかなくて、「見えるかな?大丈夫ですか」、そういって唐川選手は友達にペンを返した。
なんて穏やかで、親切な人なんだ!
そしたら友達がね、あなたももらったら?って言うんです。
私も!!
何だかね、その頃本当に、疲れすぎていて「自分」ていうものを忘れていたのかもしれない、と今となっては思うんです。
「私もいいかな…」。そんなことを言って、私も並びました。
少しして、私の番になった時、私は「お願いします」ってノートを差し出した。そしたら、「右左、どっちに書きましょう?」そう言ったの。どっちでもよかったよね。でも私はこっちで、と右のページを差した。唐川選手はさらさらとサインを書いてくれたんです。
その日、帰りのバスは事故渋滞に巻き込まれて5時間くらいかかって東京駅に着きました。
でもね、そのノートを持つと嬉しくてぱららーんと私の周りの空気は明るくなった。それまで毎日ずっと持っていた重たい気持ちがなくなったんです。次の日からまた仕事なんだけどね。
でもその日、そのときのことが忘れられないんだ。だから唐川菩薩なの。へへ。

おばちゃんは笑って、手を振って電車を降りていった。